東京地方裁判所 昭和54年(行ウ)64号 判決 1980年7月25日
原告
段良富こと
廣田良富
右訴訟代理人
浜勝之
同
間部俊明
被告
国
右代表者法務大臣
奥野誠亮
右訴訟代理人
田代有嗣
右指定代理人
一宮和夫
同
玉田真一
主文
1 原告が日本国籍を有することを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実《省略》
理由
一原告は昭和一三年一二月一八日神奈川県横浜市中区山下町一三六番地において春源と晴惠の子として出生したこと、春源は中華民国国籍を有していたこと、晴惠が出生により日本国籍を取得したこと及び原告が無国籍者として外国人登録されていることはいずれも当事者間に争いがない。
二ところで右争いない事実によれば、もし晴惠が原告の出生時春源と婚姻関係にあつたとすれば、晴惠は中華民国国籍を取得し(中華民国国籍法第二条第一号)、日本国籍を喪失していた(旧国籍法第一八条)のであつて、原告は生来的に中華民国国籍のみを取得していたものであるし、また、仮にそうでないとすれば、原告は生来的に日本国籍を取得したところ(旧国籍法第三条)、旧国籍法施行時に春源から認知されていれば原告は認知のときから中華民国国籍を取得し(中華民国国籍法第二条第二号)、同時に日本国籍を喪失した(旧国籍法第二三条)ものというべきであるから、以下順次判断する。
1 被告の主張1について
原告の出生当時、春源と晴惠が婚姻関係にあつたか否かについてみるに、前記争いない事実によれば春源は中華民国国籍を有し、晴惠は出生により日本国籍を取得した者であるから、右両名の婚姻が有効に成立するためには法例第一三条第一項により、婚姻成立の要件は両名につきその各本国法の定める要件を具備することを要し、その方式は婚姻挙行地の法律によるものと定められているところ、証人廣田晴惠の証言によれば、春源と晴惠は昭和一一年四月六日神奈川県横浜市内で結婚式を挙げ、同日以降同市内で中華料理業を営みながら家庭生活を送つてきたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そうすると、右認定事実によれば、春源と晴惠の婚姻挙行地は我が国というべきであるから右両名の婚姻が有効に成立するためには昭和二二年法律第二二二号によつて改正される前の民法(明治三一年法律第九号、以下「旧民法」という。)第七七五条第一項の定める婚姻の届出がされ、かつこれが戸籍吏に受理されなければならない(旧民法第七七六条)ものと解される。
そこで右婚姻の届出及び受理の有無につき検討するに、証人鈴木武は、昭和五一年に原告の弟段良興から帰化の申請がされた際、帰化担当官として同年一〇月ころ春源及び晴惠から身分関係についての事情聴取をしたところ、春源は婚姻届をまず中国領事館へ届け出た後、晴惠の中華民国国籍取得証明書を添付したうえ晴惠の本籍地へ届け出た旨を、一方晴惠は、結婚式の後しばらくして婚姻届を中区役所及び中国官憲へ届け出た旨をそれぞれ供述するとともに、晴惠の戸籍に春源との婚姻の記載がないことに驚いていた様子であつた旨証言している。そして、<証拠>によれば、晴惠は春源の妻として昭和二二年八月三〇日付で外国人の新規登録をし、以来右登録を更新して今日に至つていること、<証拠>によれば、晴惠は春源の中華民国留日僑民登記証にその妻として登記されていることが認められ、これらの事実によれば、春源と晴惠は前記の結婚式の後婚姻届を中区役所又は晴惠の本籍地の戸籍吏あてに提出したものと推認し得なくもない。
しかし、<証拠>によれば、晴惠の戸籍は除籍されていず、かつ、春源との婚姻の記載は何ら存しないことが認められるところ、戸籍は身分関係を公証する公簿として最も有力かつ、正確なものというべきものであり、ことに本籍地において戸籍に記載を要する事項の届出が受理されたときは市町村長は遅滞なく戸籍にその記載をしなければならないのであるから(旧戸籍法第二二条第二項、戸籍法施行規則第二四条参照)、戸籍にこのような身分関係事項の記載がない以上、他に特段の事情がない限り、右届出及び受理もなかつたものであり、右届出が婚姻のように身分関係を創設する届出である場合はその身分関係自体存在しなかつたものと推定するのが相当というべきである。そこで右特段の事情の存否について検討するに、まず、前記の外国人登録の点については、<証拠>によれば外国人登録は外国人登録令(昭和二二年勅令第二〇七号)に基づき昭和二二年五月から施行されたものであるが、当初は終戦直後の混乱期のことであつて、身分関係の確認はもちろんのこと、本人の確認すら不十分のまま申請があれば登録されたという事例もあつたことが窺われるところ、前記のように春源及び晴惠の登録は右登録令施行後間もない昭和二二年八月三〇日付で行なわれており、右登録に際し晴惠の身分関係がどのような資料に基づいて審査されたのかについて的確な証拠もないから、晴惠が春源の妻として登録されているとの一事をもつて、前記の推定を覆すに足りる特段の事情に当たるということはできない。次に中華民国留日僑民登記証の記載の点についてみると、<証拠>によれば右僑民登記証は昭和二六年九月一五日中華民国駐日代表団僑務処長から発給されたものであることが認められるところ、これが中華民国のいかなる法的根拠によつて発給されたのかは必ずしも明らかではないが、被告主張のとおり同国の在外台僑国籍処理弁法(行政院三五年(昭和二一年)六月二二日公布)に基づいて発給されたとすると、<証拠>によれば、その第三条に「在外台僑が登記を声請するには、そのものが台湾の籍貫を有するものに相違ないことを保証する華僑二人を備えなければならない。」と定めているほかは格別身分関係の正確性を担保する資料の提出も要求していないことが窺われるし、現実に右登記証が厳格な資料に基づいて発給されたと認めるに足りる証拠も存しない。してみると僑民登記証に登記されているからといつてこれが法的身分関係を正確に反映しているものと断ずることは困難というべきであるから、これをもつて前記の推定を覆すに足りる特段の事情に当たるとすることはできない。次に、婚姻届を提出したことについての春源及び晴惠の帰化担当官に対する前記供述についてみると、右供述は約四〇年も過去の事実に関する供述であり、届出書の提出先に食い違いがあるうえ、前記証人廣田晴惠の証言によれば、晴惠は婚姻届の提出に関してはすべて春源に委せきりにしていたことが認められ、従つて晴惠の前記帰化担当官に対する供述は自らの体験として述べたものではないと考えられるところ、春源の同担当官に対する供述は前記証人鈴木武の証言によれば格別当時の資料に基づいてなされたものとも認められず、春源はすでに死亡しているため更に同人の証言を得てその真実性を確かめることもできない。のみならず仮に同人の供述するように婚姻届を郵送したとしてもこれが晴惠の本籍地の役場において受附けられ、戸籍吏によつて受理されたとの点については何らの裏づけもないところ、前記証人鈴木武の証言によれば、春源及び晴惠はそのころ蘆溝橋事件が起つたところから婚姻届が処理されなかつたのではないかと供述していたというのであるが、右は全くの推測にしかすぎないものである。以上の次第で右両名の供述をもつてしては前記推定を覆すことは到底困難といわざるを得ない。
そうすると結局、婚姻の届出及びその受理がなされた事実を認めることはできないことに帰するから、春源と晴惠が有効な婚姻関係にあつたものということはできない。従つて、その余の点につき判断するまでもなく、原告が生来的に中華民国国籍のみを取得したとする被告の主張1は理由がない。
2 被告の主張2について
前項の説示によれば、春源と晴惠は原告の出生当時法的には内縁関係にあつたものであるから、原告は旧国籍法第三条により日本国籍を取得したもので、晴惠の非嫡出子というべきである。そこで以下、原告が春源の認知により日本国籍を喪失したか否かについて検討する。
(一) 被告は、春源が原告の出生直後原告を嫡出子とする出生届を中区役所へ提出した旨主張する。そして、証人鈴木武は前項記載のとおり段良興の帰化申請事件の際春源及び晴惠から身分関係の事情聴取をしたところ、両名は右被告主張に沿う旨の供述をしたと証言しているし、原告が中華民国留日僑民登記証に春源と晴惠の二男として登記されている事実は当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば原告は昭和二二年八月三〇日付で春源の二男として外国人の新規登録をして以来、右登録を更新して今日に至つていることが認められ、一方、旧戸籍法はその第六九条において外国人の子についても出生届の提出を義務づけ、また、当時施行されていた寄留法(大正三年法律第二七号)はその第一条で日本国籍を有しない者で九〇日以上一定の場所に居住する者は届出又は職権により寄留簿に記載する旨定めていたのであつて、これらの事実によれば冒頭記載の被告主張事実を推認し得なくもない。
しかし、前記の春源及び晴惠の帰化担当官に対する供述については前項に述べたような問題点が存するし、証人廣田晴惠の証言によれば原告の出生届については当然春源が提出したものと思い込んでいたもので、格別春源に右事実を確認したわけではない旨供述しているし、婚姻届提出の事実が認定し得ないことは前項において認定したとおりであるから、この点からしても春源が原告を嫡出子とする出生届を提出したとするには疑問が残らざるを得ない。そして、前記の僑民登記証の登記内容及び外国人登録にはそれぞれ前記のような問題点があるからこれらが正確な身分関係を反映しているものと断ずることはできないし、更に、前記の旧戸籍法や寄留法が外国人の出生届の提出あるいは寄留簿への記載を義務づけていたとしても右各制度がどの程度確実に履践されていたかは証拠上明らかではないのであるから、右各制度の存在をもつてただちに春源が嫡出子出生届を提出したものと断ずることはできない。
そうすると結局、春源が原告の出生直後ころ原告を嫡出子とする出生届を提出したとする前記の推認は困難という他なく、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、この点に関する被告主張はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。
(二) 被告は原告が中華民国留日僑民登記証に春源の二男として登記されていることから春源が中国官憲に対し原告を認知したことを推認することができ、認知の方式については中華民国法による方式(中国公館への申告)を具備しているので右認知は日本法上も有効であると主張するので以下この点につき判断する。
法例第一八条第一項は認知の要件については各当事者の本国法による旨定め、その方式については法例第八条第一項及び第一八条第二項により父又は母の本国法によるものと定めている。これを本件についてみると、右認知の方式については父である春源の本国法である中華民国法による方式によることができるものと解されるが、<証拠>によれば中華民国戸籍法はその第二一条に「婚生でない子を認知するときは、認知の登記をしなければならない。」と規定していることが認められる。従つて、中華民国法による認知の方式としては右戸籍法第二一条の認知の登記がなければならないものと解される。
しかし、本件全証拠によつても右認知の登記がなされたことを認めることはできないものという他はない。もつとも、中華民国留日僑民登記証に原告が春源の二男として登記されている事実は当事者間に争いがなく、右登記証の発給根拠については前記のとおり必ずしも明らかでないが、仮に被告主張のとおり前記在外台僑国籍処理弁法に基づいて発給されたものであるとすれば、<証拠>によるとその第一条が「台僑は、三十四年(昭和二〇年)十月二十五日を以て、中華民国の国籍を恢復する。」、第二条が「在外台僑は、駐外大使館、公使館または領事館(或いは駐外代表)に於て、華僑登記弁法により、ただちに登記を行わねばならない。已に登記を経た台僑には、登記証を発給し、内政部にこれを彙報して備案を行わなければならない。」と定めているところから、春源が中国官憲に対し原告が自己の子供である旨の意思表示をしたと推認することができないではない。しかし、右処理弁法は第三条において「中国国籍の恢復を希望しないものは、我国の駐外大使館、公使館または領事館(或は駐外代表)に国籍の恢復を希望しない旨、声明することができる。前項の声明は、三十五年(昭和二一年)十二月三十一日までは、これを行わなければならない。」と定めるだけで、旧国籍法施行時に登記の声請を必ず行なわなければ登記が許されない旨定めているものではない。そしていずれにしても春源の僑民登記証は旧国籍法が廃止され、現行国籍法が施行された昭和二五年七月一日より後の昭和二六年九月一五日付で発給されていることは前述のとおりである。そうすると、右登記証の記載をもつて春源が旧国籍法施行中に中国官憲に対し原告が自己の子である旨の意思表示をしたものと推認することは到底困難というべきである。
3 以上の次第であるから、原告は日本国籍を有する母晴惠の非嫡出子として出生した者で、旧国籍法第三条により生来的に日本国籍を取得したというべきであり、以後これを喪失したものとは認められないというべきである。
三よつて、原告の請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(原健三郎 田中信義 北澤晶)